【暮らしのひとすくい】卵を爆発させたトラウマをずっと抱えながら料理をする(2024.1.15〜1.20)



1月15日(月)

仕事をしていて何かトラブルがあったときなど、その原因を考えて解決するのが好きだ。
色々と頭のなかを巡らせて「考える」ことが好きなのだと思う。

以前、広告会社が主催していたトークイベントへ行ったとき、イベントに関連する展示も会場に併設されていたのだが、そこにはアイディアを出すときに書いたであろう、手書きで走り書きされたメモや議事録がたくさん壁に貼ってあった。

それをよく見てみると、無数の考えが羅列され、最終的な着地点までに行き着くまでの「過程」の様子がよくわかった。
まるで他人の頭のなかを覗けたような気がして、大変興味深く、面白い展示だった。

考えに考えた末、これだ!というものに辿り着いたときに感じるあの幸福感。
最後のパズルのピースがはまったような気持ちがたまらないよなあと思う。


1月17日(水)

今日が何曜日なのかわからないようにしている。
日本語が変だけれども、わからないようにしている。

1月に入ると会社の繁忙期で出勤日数が増える日々が3ヶ月ほど続くので、水曜日あたりまで記憶を飛ばし、木曜日になってやっと曜日を認識し始める。

この日記を書くにあたり、いつもなら携帯のメモにその日にあった面白いことや思ったこと、こころに留めておきたいことなど軽く書いておくようにしているのだが、記憶を飛ばしているため書き残す気にもなれず、サボってしまっていた。
書き残すことで「あと何日で休みだ…」ということを認識してしまい辛くなるので、これは一種の脳の自衛なのかもしれない。

料理の腕前は一向に上がりそうにもないが、健康と節約のためにほぼ毎日自炊をしており、毎晩簡単にスマホで料理の写真を撮って記録しておくのが習慣になっている。

今週の写真を見返して記憶を辿ろうと思ったら、なんと写真が1枚もなかった。


1月18日(木)

めっきり寒くなったこの頃は、布団に埋まるようにすっぽりと包まれて眠るのが好きだ。

眠るときの定番のスタイルは、髪が傷まないようにシルクでできたナイトキャップを耳まで覆われるようにすっぽりと被り、耳栓をする。以前は耳栓をすると、水のなかにいるような閉塞感がして苦手だったが、最近はちょっとずつ慣れてきた。

枕は真ん中が窪んでいて、左右が少し盛り上がっているような感じなので、これまたすっぽりと包まれている気がする。

最後に布団を頭まですっぽりと被って眠りたいところだが、これはちょっと苦しいので、顎ぎりぎりのところまで。

なんだか守られている気分になって、安心して眠りにつく。
夏にはできない、冬の特権のような眠り方。


1月19日(金)

電子レンジで温泉卵をつくるのにハマっている。

これまでずっと電子レンジに卵はご法度!と思ってきたのだが、以前、ビビンバの作り置きをするのにYoutubeでレシピを公開している動画を見ていたら、食べるときの仕上げとして電子レンジで温泉卵をつくって料理に乗せていた。

生卵を電子レンジにかけるのもわたしのなかでは結構衝撃的なことだったのだが、そもそも温泉卵が電子レンジでつくれるなんて…
いかにも料理として面倒そうなイメージがあって、これまでつくろうとも思ったことがなかった。

動画を見てすぐにつくってみたのだが、初回は見事に卵を爆発させた。
生卵を電子レンジにかける際は、必ず黄身部分をしっかりと貫通させるように穴を開けなくてはいけないのだが、どうやらそれが甘かったらしい。

それからも懲りずにつくっているのだが、そのトラウマを未だに引きずっている。
毎回緊張するし、また爆発しないかと不安になる。
電子レンジから目を離さず、じっと観察する。
少しの異変でもあったら、すぐに扉を開けられるように片手で取手を握る。

その仕上がりはというと、用心深くなりすぎているのかなんだかイマイチだ。
温泉卵「モドキ」がいつも出来上がる。


1月20日(土)

「一瞬でお風呂に入って終わった状態でいたい」

そうつぶやくと、

「まだ始まってもないじゃない」

と言われた。たしかに。

たしかにそうなのだが、始まってもないのに終わっていてほしいのだ。

お風呂へ入り、髪も体も洗って、ドライヤーも終わった時点にタイムスリップしたい。

でもそんなことはできないので、ちょっと凍えながら脱衣所へ向かう。
この時代になってもまだお風呂へ一瞬で入れる機械は開発されないなと何度か思ったことをまた思った。

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