ずっと気になっていた本。やっと読むことができた。
『東京百景』は芸人を目指して18歳で上京した著者・又吉直樹さんが東京でこれまでに見た景色と過ごした日々を綴ったエッセーである。
その中の一節を読んで、ある出来事を思い出していた。
死にたくなるほど苦しい夜には、これは次に楽しいことがある時までのフリなのだと信じるようにしている。のどが渇いている時の方が、水は美味い。忙しい時の方が、休日が嬉しい。苦しい人生の方が、たとえ一瞬だとしても、誰よりも重みのある幸福を感受できると信じている。
『東京百景』又吉直樹 p211
それは、著者の別作『夜を乗り越える』を読んでいる時であった。
はじめに、わたしはそこまでの読書家ではなく、本を読む期間もあれば、全く読まない時期もある。
この本も当時記憶が思い出せないくらい前に途中まで読んでいたが、やめてしまって、ひっそりと本棚に置いてあった。
再び手に取ったのは、大学4年の時だった。
6月の半ば、大学では周りのほとんどの人が就職先を決め、就職活動を終えている時期であった。
そんな中わたしはその波に乗れず、就職活動を続けてはいたものの、日々自分のできなさに落ち込んでいた。
他人と比較し、比較される毎日。
焦りと不安と悲しさで、心がぐちゃぐちゃだった。
朝、何気なく本棚から手に取ったこの本を電車の中で開く。
いつ挟んだのかも忘れてしまった栞を手に取り、読み始める。
その夜は、もう運が悪かったとしか言いようがありません。誰かが気づいて止めることができたら、太宰も一緒にいた山崎富栄さんも、もしかしたら数日後にめちゃくちゃ楽しいことが待っていたかもしれない。
『夜を乗り越える』又吉直樹 p193
開いた途端、目に入った文章。
この章では、太宰治の死について書かれていた。
長い長い明けない、真っ暗な夜のような日々。
文章と当時の自分が重なって、電車で思わず泣きそうになったのを今でも憶えている。
その夜さえ乗り越えれば、僕は「ダウンタウンDX」でむちゃくちゃ笑いを取っているジジイの太宰や、明石家さんまさんと番組で絡んでいる太宰が想像できるんです。
『夜を乗り越える』又吉直樹 p195
わたしもこの「夜」さえ乗り越えれば生きられるのだろうか。
いつか、将来の自分がこのことを笑って話せる時が来るのだろうか。
当時、ほしかった言葉のすべてが書いてあって、まさに本に救われたような気持ちになった。
こんな感覚は、今まで体験したことがなく、無理矢理励まされたり、プラス方向に推し進められたりではなく、そっと背中をさすってもらったような。そんな感覚だった。
太宰治が乗り越えられなかったあの「夜」を、もし乗り越えられたらこうだったかもしれないと想像してくれる人がいる。それがわたしの中で一種の希望のようだった。
「この夜は永遠ではないのかもしれない。」
ふっと心が軽くなり、もう少しだけやってみようと思えたのだった。
あの頃のわたしに言いたいのは、遠回りの人生でうんざりすることもたくさんあったけれど、今のわたしは、ちゃんとやりたいことに近づけているよということ。
得体の知れない化物に殺されてたまるかと思う。反対に、街角で待ち伏せして、追って来た化物を「ばぁ」と驚かせてやるのだ。
『東京百景』又吉直樹 p211
今でも当時を思い出すと泣きそうになってしまうので、あの長い夜のような日々をまだ笑っては話せないけれど、あの時期があったからこそ、今のわたしがあると言える。
『東京百景』を読みながらこのことを思い出していた。
あの出来事から又吉直樹さんはわたしの中で不思議な存在である。
何回でも読み返したくなる、初心に帰ることができる大切な一冊となった。
コメント