【暮らしのひとすくい】ポジティブすぎて嫌悪してた言葉も考え方次第なのかもしれない(2024.1.22〜1.28)



1月22日(月)

何気なく、携帯の写真フォルダを見返していると『pet friends』としてアルバムがあるのを発見する。
昔飼っていた犬の写真を携帯が自動でまとめてくれたようだった。

開いてみるとスライドショーで画像や動画が流れ、中にはこんなの撮ったっけ?というものもあった。
それを見て一気に懐かしい気持ちが込み上げる。

こころのなかにはいつも犬たちがいるけれど、写真を見返すことで忘れかけていたことを思い出すこともあるのだなと思う。


1月23日(火)

髪を乾かしながら観ていた動画が「努力」について取り上げていた。

「努力は報われる」

ポジティブな言葉としてよく耳にするこのことに対し、動画の配信者は、これを他人との比較ではなく、「昨日の自分」とのことだと解釈しているといった。

先日、久しぶりに中学の同級生と会い、いろいろとお互いの近況報告をするなかで、最近勉強をしているということを伝えるのがすこし恥ずかしく、躊躇う気持ちがあった。

その子は中学のときから頭が良く、成績もわたしよりもずっと良かった。
躊躇してしまうような気持ちになったのは、もしその子がちょっとでも勉強をすれば、今のわたしのレベルなんて簡単に飛び越えてしまうと思ったからだろう。

しかし、比較するのは他人じゃない。
他人と比較したところでキリがなくなるし、能力に違いがあることはどうしても仕方のないことなのだ。

昨日の自分とと比べれば、明らかにいい方向に向かっている。これは確かなこと。

ポジティブすぎて嫌悪していた言葉も、結局は解釈次第かもしれない。


1月24日(水)

朝出勤をするとき、真っ暗だった景色がだんだんと明るくなってきた。
オレンジ色とピンク色が混ざったような空に、白い街灯がポツポツと星のように光る。

ときどき日常のなかに感じるこういった感情を忘れたくないなと強く思った。


1月25日(木)

仕事をしていて落ち込むことがあった。
ざっくり書くと、他人の仕事ぶりに対して自分のできてなさと未熟さを目の当たりにして落ち込んだのである。

昨年あたりから、朝仕事をする前の時間に自分が興味のあること(こうして書くことも!)をやってみたり、語学の勉強を始めたりしているのだが、これらは仕事に直接役立っているわけではない。

そう思ったときに、この努力は全部無駄なのではないかと思ってしまったのだ。

その人はわたしよりもだいぶ歳上で、仕事経験も豊富にあるので当たり前ではあるのだが、落ち込んだ出来事だったので記録をしておく。

数日前に「他人と比較しても仕方ない」と悟りを開いたような気持ちになっていたのに、こうしてしっかりと落ち込んでいるのが少し可笑しく、めちゃくちゃ人間らしいなと思った。


1月26日(金)

朝、部屋に日が入るので、なるべくその光を浴びるようにしている。
日の光を浴びると、浴びていないときよりも体が自然に起きてくれるような気がする。

前にテレビで、フィンランドに住む人の生活を取材している番組を観た。
フィンランドは冬になると日照時間が短くなるため、ほとんど太陽が昇らず、真っ暗なのだという。
そのため、その取材していた家には、小型のサーキュレーターほどの大きさの太陽光が出るライトが置いてあり、日中はそれを点けて過ごすのが日課なのだそうだ。

ぽかぽかとした暖かさと有り難さを噛み締める。今日も日の光を浴びている。


1月27日(土)

ある高校へ行く機会があった。
校舎や教室、グランドなど、それだけで尊いような眩しい気持ちになるのは、自分が歳をとったせいだろうか。

その日は、春からの新入生らしき子らが制服の採寸にきているようだった。
我が子の制服姿を写真に収めている様子を多数見かける。

自分に子どもなどいないのに、こちらまでも感慨深い気持ちさせられた。


1月28日(日)

休みの日になると、しっかりと「休みたい気持ち」の自分と、せっかくの休みなんだから平日にできないことをしたい「活動的な気持ち」の自分にいつも悩まされている。この両者がいつも葛藤するのだ。

この日は平日の睡眠不足を補うかのように昼ごろまで眠ってしまい、結果的に「休みたい」気持ちの自分が勝利した。
勝利はしたものの、そのままダラダラと過ごしていたので、もっと有意義にできたのではないかと後悔の気持ちがひしひしと押し寄せてきた。

結局のところ、どちらを選択してもやらなかった方をすれば良かったと思ってしまうことが経験上あるので、なんとかして解決策を打ち出したい。

果たして最適解はあるのか。ほどよく休んで、ほどよく活動するのが一番いいのだろうか。

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